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穏やかであたたかな空気@2008年秋雪組若手トークショー

2008年秋。雪組『ソロモンの指環』『マリポーサの花』東京公演中に行われたトークショーについて書いたものです。書きかけで置いてあったものを見つけたので、少し加筆して掲載します。

10月27日月曜日の夕方。雪組若手さんたちのトークショーに向かうため、雨上がりの都心の街を急ぎました。

会場のヤクルトホールの前には、いかにも宝塚ファン.....というのがどういうものか、自分でもよくわからないですが......なんとなく同じ場所に向かいそうな女性客が数人、人待ち顔で立っていました。

今日の主役は、コマ(沙央くらま)、しゅうちゃん(大凪真央)、キャビー(早花まこ)の3人。コマは新公を卒業したばかり。しゅうちゃんとキャビーは、今年が新公の長の学年ですね。

宝塚友の会の会員特典のような、この、各組若手スターさんたちのトークショーは、いつも月曜の夕方に開催されていて行きづらい時間帯のため、自分で申し込みをすることはほとんどありません。が、今回行くつもりでいたお友達の都合が悪くなったため、急遽大声をかけていただきました。
コマは、私が子ども時代を過ごした場所の近所のご出身らしく、以前スカステの何かの番組で子どもの頃の話をしていたのを聞いて、とても懐かしく思いました。それ以来、なんとなく気になる生徒さんではあったのですね。なので、今回お声をかけていただいたときに、どんな生徒さんなのか、ぜひ素顔を拝見したいなと思い、ありがたくお誘いを受けることにしたのでした。

ヤクルトホール独特の、ファッションショーの会場になりそうなステージは、深い海の底のような青白い照明に照らされていました。携帯電話の注意などを聞きながら、待つことしばし。

客席後方から3人のスターさんが現れました。

コマ(沙央くらま)は、ちょっと女性らしくてかわいらしいテーラードの黒いパンツスーツに赤いシャツ。
しゅうちゃん(大凪真央)は、白いシャツに丈の長い黒い上着に、黒いパンツ。ヒールの細いパンプスが印象的でした。
キャビー(早花まこ)は、少し空けるオレンジのワンピースに白いボレロ...だったかな?小柄なキャビーによく似合う、女の子らしい、華やかで可愛らしい装いでした。ヘアはコマがアレンジしたとのこと。前髪をセンターで分けて、トップと一緒に一つにまとめて右側でねじって、それを左の耳の後ろあたりでとめたような髪型。で、白いお花がついてました。ポイントは、コマいわく「真ん中分け」だそうで......

トークは、まず、公演の話から始まりました。

コマは思っていたとおり元気な男役さん。お客様に楽しんでもらいたい、自分たちをわかってもらいたいと、一生懸命な気持ちがとてもよく伝わってきます。

今回ショー『ソロモンの指環』は30分と短いですが、やはり、出演している彼女たちも「短さになかなか慣れなかった」そうです。

コマは最初のシーンは極楽鳥で、ダルマを着て登場するのですが、とくに休日二回公演の11時の部のときは「これで目を覚ましてもらう!」ぐらいの勢いで、パーッと出てくるようにしているそうです。

キャビーは、まやさん(未沙のえる)と一緒に指環売りとなって、銀橋の階段に腰掛けてお客様に「いらっしゃいませ」「いかがですか?」と宝石を勧めていますが。
あるとき大劇場で、いつものように「いかがですか?」と、宝石の入ったトランクを開いたら、目の前にいたオバサンが、指環をいっぱいつけた手をキャビーに突き出して見せた....なんてことがあったそうです。張り合っていたの!? それは驚いたそうですが、それも含めて、お客様と触れ合うのは、やはり楽しいようですね。

指環のセットが、指環だけじゃなくていろいろ変化していくのも、珍しくて面白い。ぜひよく見てください、とキャビー。

その指環のセットですが。舞台稽古で「指環に上る人は上って」とセンセイから指示があったときに、しゅうちゃんは、ほんとは指環に上る人ではなかったのだけれど、指輪に上ってみたのだそうです。他にも同じように上る人がいて、指環の上には、本来の人数よりも大勢が上っていたそうです(笑)。キャビーやコマも上りたかったけど、自分はその振りはついていないから....と遠慮したらしいのですが。「上ればよかった」と言ってました。

指環のセットもそうなのだけれど、指環の小道具もいっぱい出てきて、それに絡む振りがいっぱいあって、お稽古場のときは何をしているのかさっぱりわからなかったけれど、舞台稽古になって「あぁ、あれはこうだったのか!」というのがわかって、すごい驚いたというか、わぁっと思ったそうです。

コマは、浮き輪のように指環の中に入って持っている振りを見て、あれは何をしているんだろうと思っていた.....という説明のときに、ハンドマイクを持ってその振りをすると、両手がふさがってしまってマイクを持てなくなって、マイクなしですごい大声で話していたのが、おかしくてかわいかった(笑)

そのショーの中で、しゅうちゃんは海の場面が好き、ということです。海の波がうねるような動きが好きなのですって。あの場面が始まると、いつも、袖に見に行ってしまうそうです。

このショーは荻田先生(演出:荻田浩一)独特の世界なので、とくにストーリーとか考えないで、悩まないで見てほしい、とのことでした。


『マリポーサの花』は「長い」という評判だけれど、フィナーレがついて、ナンバーも多いので、演じてる側としてはあまりお芝居自体は長いと感じない。いつもと同じぐらいかな.....と。

台本もとくに厚くない.....という話の中で、お稽古の最初の本読みのときのエピソードがいくつか紹介されました。

コマはいろんな役をやっているけれど、いちばん好きなのは「使用人」ですって。本読みのときにわからなくなってしまって、となみ(白羽ゆり)のセリフを例の口調で読んでしまって、笑われたとか。

しゅうちゃんはオヅキ(緒月遠麻)の「子分」で、いつも笑っている役なのだけれど、台本にもセリフがなくて「笑」と書いてあるそうです。本読みのときに、どうしていいかわからなくて「ははは」と笑っていたら、マサツカ先生(演出:正塚晴彦)に「それは違う」と言われたそうです。

「宝塚はお客様があたたかいですよね」と話題をふられたときに、コマは、新人公演でオスカルを演じたときのエピソードの話をしていました。
まだ何もできていない自分を、お客様はあたたかく受け入れてくれた。「何もできない自分を、お客様がオスカルに引き上げてくれた」と。
それは、バスティーユの場面で。あの、衛兵隊たちに十字の形で持ち上げれたときか、それとも、こときれる瞬間か......その言葉が、コマのお人柄を表すような気がして、感動しました。今もこれを書きながら、涙がこぼれそうな気持ちです。

しゅうちゃんは、おっとりゆったりしたタイプなのですね。にこにこしていて、話をふられても「そうですね」と肯定して終っちゃうような。

キャビーはもっとキャピキャピ(←死語?)した女の子かと思っていたら、一言一言をじっくり考え、言葉を選びながら話す、とても落ち着いたお嬢さんで、ちょっと意外でした。

3人とも、現在の公演の次は『カラマーゾフの兄弟』に出演。
コマは今、頑張って原作を読んでいるのだそうですが。長いのでなかなか読めなくて......と話していました。

赤坂ACTシアターは楽屋もまだ新しくて、人が使ったという気配がなくてきれいで......なにか別の表現をされていたのですが、いまいちよく思い出せない........コマは、それも楽しみだそうです。

3人のお人柄なのかな。ファンの方々が雪組さんを見つめる眼差しのせいかな。とても穏やかな空気が流れていて。キャビー、しゅうちゃん、コマの3人に見送られてヤクルトホールを後にしたときに、なんだか心のなかに温かなものを感じました。

トークショー終了後、お見送りに立っているコマに「頑張ってくださいね」と声をかけたら、照れくさそうな笑顔で、とても力強く「はい!」と答えてくれたのが、印象的でした。

思い返してかみ締める....@ACHE ~疼き~

ACHE ~疼き~

あの舞台の中でわたさん(湖月わたる)は、わたさんの自己なんだな.....と思った。自己自身。本質。身体とか性別とかを超越してて、わたさんそのものの魂なのかもしれない。
男役を卒業したとき、そこにおいてきたのは女性の身体。男役の自分をおいてきたのではなく、自分の魂を仮に宿していた女の身体をおいてきたんだ。わたさんの魂は、女性の体を借りて、男役を生きたんだ。

けど、男役を卒業した今、わたさんの魂は、女性を求めるのか、男性を求めるのか、はたまた性別を超えた存在を求めるのか。

それって、もしかしたらわたさんの現在の心のありようを示していたのかな.....今、女性と決めず、男性と決めず、いろいろな舞台でいろいろな役柄を演じているわたさんの姿、そのものなんじゃないかな。

そのわたさんが、今いちばんしっくりくる言葉が"ACHE"だったってことかしら....??

初舞台から20周年の区切りを単なるメモリアル、振り返りに終らせずに、こういう形で今の自分の姿を残し、ファンの心に刻み付ける。どことなく哲学的なあり方は、わたさんにぴったりな気がしたし。私はこの哲学っぽさが好きだって思った。

具体的なパートナーとして、何人かのスターさんを思い浮かべることはできると思う。その人とともに作り上げた世界は終ってしまって、二度と戻れないことは事実だから。
どの人を思い浮かべても、かすかに胸に痛みを覚えるし、納得できるというか筋は通る。
観る人によって様々な解釈ができると思う......それぞれのわたさんの観方、わたさんへの思い、わたさんとの思い出によって。そういう意味でも哲学的で、奥深い作品だな......と思う。

そこまで深く考えなくても、この舞台の上で、純粋にわたさんはかっこよかったから。それだけでもよかったけどね。

暗闇に消えたわたさんが再び登場した後の舞台は、明るくてノリのいいコンサートに変わっていました。客席の前方のファンたちが、一斉に両手を上げて左右に振ったり拍手する.....客席と舞台との一体感を感じました。これこそ、まさにわたさんの世界!

少し前までの、憂いに包まれて、深い深い心の奥底を表現していたわたさんからは一転して、サワヤカで明るくて楽しいわたさん。この二面性というか、振幅の大きさも、わたさんの堪らない魅力のひとつなんだろうな......と思いました。

何度も何度も思い返しては、かみ締める。長く深く、切ない余韻の残る、私にとってお気に入りの舞台の一つになりました。

あの日につながる切ない想い@ACHE ~疼き~(後半)

今がけして幸せでないというわけじゃないけど。
振り返るともっともっとあたたかくておだやかで、
幸せな日々があったような気がする。

もう戻れないあの頃を思うとき、
胸にかすかな痛みを感じる......


前の記事からの続きです。

そこは、わたさん(湖月わたる)の20周年記念の舞台。リサイタル?
わたさんのダンスは切れがあって格好いい。有村センセイ(衣装:有村淳)の.....いかにも有村センセイらしい、白いスレンダーなスーツがよく似合ってる。

幕間にロビーで、元・宙組組長のまりえったさん(美郷真也)が、元・雪組副組長のよっこさん(灯奈美)や、たぶん歌唱指導の楊淑美サンに向かって「わたさん、一段と男っぷりをあげた」って熱心に話してるのを小耳にはさんだけど。ほんとうに、そのとおりだと思う。

ゆりちゃん(星奈優里)との息もピッタリ合っている....と、思う。ゆりちゃんのダンスは、昔から思うけれど、本当に女らしくて色気があるのに、キレがよくって、素敵。ゆりちゃんと絡むと、さらにわたさんの男振りが上がる。

そこに怪しい男どもが現れ、ゆりちゃんを連れ去ろうとする。
ゆりちゃんを奪われまいとして、わたさんが男どもに挑みかかる。拳闘シーンが始まる。わたさんの長い手足が躍る。あざやかさに目が奪われる。格好いいよ、わたさん!


舞台は「失われた半身を捜し求める場所」に代わる。そこに現れた、半身同士がくっついた2人@附田政信さん&坂本まさるさんが、息もぴったりで、コミカルで、笑いがこぼれる。この2人は「意識」とか「感情」とか、なのね。2人の動きは、さまざまな感情や、思いや、目に見えないものが表現されたもの。面白いけど、すごく深い。人間の身体ってこんなにもたくさんのことが表現できるんだ.....と思って、感心してしまう。

わたさんの身体も同じ。長い手足でしなやかに踊るわたさんの中から、言葉で表せない何かが流れ出てくるのがわかる..........それは「流れ出る」のだと思う。流れ出るものは、感情とか、思いとか、空気、かな。頭で考えるよりも先に、心が何かを感じ取ってしまうような......この、わたさんから感じる「何か」を、言葉でうまく表せないのがもどかしいのだけれど。

わたさんの動きに従って、白いジャケットの裾が翻り、シルバーの....なんていうのかな?ネックレス?マフラー?ともかくそれが、ジャケットの襟に沿って、キラキラと揺れるのが、とてもきれい。

わたさんは「パートナー」が今も無事にそこに生きていることを知って、安堵する。
お芝居の中のありふれたひとコマだけど、この舞台の中では、そんなひとコマひとコマ、一言一言が何か重要な意味を持っている気がする。

失われた半身を選ぶなら「前と同じ半身がいい」と、わたさんは言う。なぜなら「パートナー」だから。けど、わたさんは「パートナー」の何を知っていたのか.....

失われた半身に代わる半身に、男性を選ぶのか、女性を選ぶのか、はたまたそのどちらでもない何ものかを選ぶのか。
わたさんが求めるのは、女性。ゆりちゃん。けど、彼女はわたさんから目を逸らし、そこから逃げようとする。

男性。戸井さんは、わたさんを強く引き寄せようとする。
もう一人、さえちゃんは、少年のように見える。たぶん女性じゃないけど男性でもない。両性具有というよりもむしろ、未分化といったほうが似合う。
さえちゃんは、わたさんにささやきかけ、誘惑する。わたさんの意識の底に潜り込もうとするかのように。

女性のゆりちゃんと絡むと、わたさんの男振りが際立つ。
男性の戸井勝海さんが迫ると、わたさんは明らかに女だ.....当然だけど。女性らしさがにじみ出る。

さえちゃんは.....さえちゃんはほんとうに、ボーダーに生きる人。男性とも、女性とも。大人とも子どもとも.....どころか、人間ともつかない。不思議な空気感を醸し出している。
そういえばさえちゃんは、昔からそうでしたね....何ものでもない役がとても似あっていて上手かった。それは上手い、下手というものではないのかもしれないですね。自然に身に添うものなのかもしれない。それが魔性と呼ばれるものなのかもしれない。

そんなさえちゃんが、わたさんに恋い焦がれている。怪しく熱い眼差しでわたさんに挑みかかる。わたさんを勝ち取るのは自分以外にはありえないと、そうであるのが当然だとでもいうかのように。

わたさんは躊躇し、苦悩している。自分の半身は、男性なのか、女性なのか。あるいはそのどちらでもない何ものか。

さえちゃんはゆりちゃんがわたさんを「売った」事実を告げる。なぜ?わたさんに詰め寄られて、ゆりちゃんは逃げようとする。
そこに再び怪しい男たちが現れ、そして.....

前と同じ......同じに見えるけれども少し違う世界に戻ったわたさんは、再び新たな場所に向けて歩み始める。

舞台を下り。客席の通路を後方に向かって一筋に、わたさんが歩いてくる。わたさんを照らしていたライトが途切れ、暗がりの中。わたさんの白い影が、近づき、通り過ぎて、消えた。そこに、わたさんの気配だけがいつまでも残っているような気がした.........


宝塚を卒業するということは、男役と訣別するということだけれども。それは自分の半身を喪うのに等しいことなのですね。自分の意思とか思いといったもの、いわゆる「ハート」の部分は変わらずにあるけれども、それを表現する身体を喪ってしまった.......これまで私がなんとなく想像していたのもとは少し違うけれど、現実に男役を卒業したわたさんには、そのような感覚があるのかしら.....

さらに、その「表現する身体」は女性だった、ということかしら....わたさんの「男役」の心を、わたさんという女性が表現していたってことかしら.......これも、これまで「男役」に対して想像していたものと違うけれど、でも、ちょっと納得できる。

男役と別れ、表現する術を求めて模索していたけれど、わたさんはわたさんらしく、これからもやっていくんだと、そんなわたさんの現在の思いがこの舞台に込められているような気がしました。
20周年の記念に「これまで」を振り返るのではなく、現在の自分の立ち位置や思いを舞台で表現するというのが、すごく新鮮だし、すごく共感できる。なんとなくわたさんらしいなって気がしました。そういう意味でも、この作品はとても好きだなって思いました。

私の感じたものが違ってなければ、それをこのような形で表現してくださった大野センセイ(演出:大野拓史)も素晴らしい!


わたさんが去った舞台に、さえちゃんが現れ、次いで出演者たちが、そしてわたさんが現れて、フィナーレのショーが始まりました。それまでとうって変った明るく賑やかな雰囲気に戸惑ったけれど。でも、あの雰囲気のまま終わってしまったら、重たい空気を引きずって帰らないといけないものね。それはファンにとってはちょっと....だものね。

わたさんに合わせて、客席全体が揺れるのが後方の席からはよく見わたせる。このぱぁっと明るい空気、客席との一体感も、わたさんの魅力ですね........そういえばそうでした。わたさんがトップさんだった頃を思い出して、少し懐かしかった。

わたさんとさえちゃんの短いけど楽しいトークがあって、切なくて楽しい舞台は終了。終演後のロビーが、満ち足りた表情のファンであふれていたのが、印象的でした。

20080711212638
劇場の帰り道は、京橋から有楽町に出ました。
駅前の雑踏を抜けたら東京宝塚劇場の尖塔が見えて......なんだかすごく遠いところから戻ってきたような気がしました。

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