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思い返してかみ締める....@ACHE ~疼き~

ACHE ~疼き~

あの舞台の中でわたさん(湖月わたる)は、わたさんの自己なんだな.....と思った。自己自身。本質。身体とか性別とかを超越してて、わたさんそのものの魂なのかもしれない。
男役を卒業したとき、そこにおいてきたのは女性の身体。男役の自分をおいてきたのではなく、自分の魂を仮に宿していた女の身体をおいてきたんだ。わたさんの魂は、女性の体を借りて、男役を生きたんだ。

けど、男役を卒業した今、わたさんの魂は、女性を求めるのか、男性を求めるのか、はたまた性別を超えた存在を求めるのか。

それって、もしかしたらわたさんの現在の心のありようを示していたのかな.....今、女性と決めず、男性と決めず、いろいろな舞台でいろいろな役柄を演じているわたさんの姿、そのものなんじゃないかな。

そのわたさんが、今いちばんしっくりくる言葉が"ACHE"だったってことかしら....??

初舞台から20周年の区切りを単なるメモリアル、振り返りに終らせずに、こういう形で今の自分の姿を残し、ファンの心に刻み付ける。どことなく哲学的なあり方は、わたさんにぴったりな気がしたし。私はこの哲学っぽさが好きだって思った。

具体的なパートナーとして、何人かのスターさんを思い浮かべることはできると思う。その人とともに作り上げた世界は終ってしまって、二度と戻れないことは事実だから。
どの人を思い浮かべても、かすかに胸に痛みを覚えるし、納得できるというか筋は通る。
観る人によって様々な解釈ができると思う......それぞれのわたさんの観方、わたさんへの思い、わたさんとの思い出によって。そういう意味でも哲学的で、奥深い作品だな......と思う。

そこまで深く考えなくても、この舞台の上で、純粋にわたさんはかっこよかったから。それだけでもよかったけどね。

暗闇に消えたわたさんが再び登場した後の舞台は、明るくてノリのいいコンサートに変わっていました。客席の前方のファンたちが、一斉に両手を上げて左右に振ったり拍手する.....客席と舞台との一体感を感じました。これこそ、まさにわたさんの世界!

少し前までの、憂いに包まれて、深い深い心の奥底を表現していたわたさんからは一転して、サワヤカで明るくて楽しいわたさん。この二面性というか、振幅の大きさも、わたさんの堪らない魅力のひとつなんだろうな......と思いました。

何度も何度も思い返しては、かみ締める。長く深く、切ない余韻の残る、私にとってお気に入りの舞台の一つになりました。

あの日につながる切ない想い@ACHE ~疼き~(後半)

今がけして幸せでないというわけじゃないけど。
振り返るともっともっとあたたかくておだやかで、
幸せな日々があったような気がする。

もう戻れないあの頃を思うとき、
胸にかすかな痛みを感じる......


前の記事からの続きです。

そこは、わたさん(湖月わたる)の20周年記念の舞台。リサイタル?
わたさんのダンスは切れがあって格好いい。有村センセイ(衣装:有村淳)の.....いかにも有村センセイらしい、白いスレンダーなスーツがよく似合ってる。

幕間にロビーで、元・宙組組長のまりえったさん(美郷真也)が、元・雪組副組長のよっこさん(灯奈美)や、たぶん歌唱指導の楊淑美サンに向かって「わたさん、一段と男っぷりをあげた」って熱心に話してるのを小耳にはさんだけど。ほんとうに、そのとおりだと思う。

ゆりちゃん(星奈優里)との息もピッタリ合っている....と、思う。ゆりちゃんのダンスは、昔から思うけれど、本当に女らしくて色気があるのに、キレがよくって、素敵。ゆりちゃんと絡むと、さらにわたさんの男振りが上がる。

そこに怪しい男どもが現れ、ゆりちゃんを連れ去ろうとする。
ゆりちゃんを奪われまいとして、わたさんが男どもに挑みかかる。拳闘シーンが始まる。わたさんの長い手足が躍る。あざやかさに目が奪われる。格好いいよ、わたさん!


舞台は「失われた半身を捜し求める場所」に代わる。そこに現れた、半身同士がくっついた2人@附田政信さん&坂本まさるさんが、息もぴったりで、コミカルで、笑いがこぼれる。この2人は「意識」とか「感情」とか、なのね。2人の動きは、さまざまな感情や、思いや、目に見えないものが表現されたもの。面白いけど、すごく深い。人間の身体ってこんなにもたくさんのことが表現できるんだ.....と思って、感心してしまう。

わたさんの身体も同じ。長い手足でしなやかに踊るわたさんの中から、言葉で表せない何かが流れ出てくるのがわかる..........それは「流れ出る」のだと思う。流れ出るものは、感情とか、思いとか、空気、かな。頭で考えるよりも先に、心が何かを感じ取ってしまうような......この、わたさんから感じる「何か」を、言葉でうまく表せないのがもどかしいのだけれど。

わたさんの動きに従って、白いジャケットの裾が翻り、シルバーの....なんていうのかな?ネックレス?マフラー?ともかくそれが、ジャケットの襟に沿って、キラキラと揺れるのが、とてもきれい。

わたさんは「パートナー」が今も無事にそこに生きていることを知って、安堵する。
お芝居の中のありふれたひとコマだけど、この舞台の中では、そんなひとコマひとコマ、一言一言が何か重要な意味を持っている気がする。

失われた半身を選ぶなら「前と同じ半身がいい」と、わたさんは言う。なぜなら「パートナー」だから。けど、わたさんは「パートナー」の何を知っていたのか.....

失われた半身に代わる半身に、男性を選ぶのか、女性を選ぶのか、はたまたそのどちらでもない何ものかを選ぶのか。
わたさんが求めるのは、女性。ゆりちゃん。けど、彼女はわたさんから目を逸らし、そこから逃げようとする。

男性。戸井さんは、わたさんを強く引き寄せようとする。
もう一人、さえちゃんは、少年のように見える。たぶん女性じゃないけど男性でもない。両性具有というよりもむしろ、未分化といったほうが似合う。
さえちゃんは、わたさんにささやきかけ、誘惑する。わたさんの意識の底に潜り込もうとするかのように。

女性のゆりちゃんと絡むと、わたさんの男振りが際立つ。
男性の戸井勝海さんが迫ると、わたさんは明らかに女だ.....当然だけど。女性らしさがにじみ出る。

さえちゃんは.....さえちゃんはほんとうに、ボーダーに生きる人。男性とも、女性とも。大人とも子どもとも.....どころか、人間ともつかない。不思議な空気感を醸し出している。
そういえばさえちゃんは、昔からそうでしたね....何ものでもない役がとても似あっていて上手かった。それは上手い、下手というものではないのかもしれないですね。自然に身に添うものなのかもしれない。それが魔性と呼ばれるものなのかもしれない。

そんなさえちゃんが、わたさんに恋い焦がれている。怪しく熱い眼差しでわたさんに挑みかかる。わたさんを勝ち取るのは自分以外にはありえないと、そうであるのが当然だとでもいうかのように。

わたさんは躊躇し、苦悩している。自分の半身は、男性なのか、女性なのか。あるいはそのどちらでもない何ものか。

さえちゃんはゆりちゃんがわたさんを「売った」事実を告げる。なぜ?わたさんに詰め寄られて、ゆりちゃんは逃げようとする。
そこに再び怪しい男たちが現れ、そして.....

前と同じ......同じに見えるけれども少し違う世界に戻ったわたさんは、再び新たな場所に向けて歩み始める。

舞台を下り。客席の通路を後方に向かって一筋に、わたさんが歩いてくる。わたさんを照らしていたライトが途切れ、暗がりの中。わたさんの白い影が、近づき、通り過ぎて、消えた。そこに、わたさんの気配だけがいつまでも残っているような気がした.........


宝塚を卒業するということは、男役と訣別するということだけれども。それは自分の半身を喪うのに等しいことなのですね。自分の意思とか思いといったもの、いわゆる「ハート」の部分は変わらずにあるけれども、それを表現する身体を喪ってしまった.......これまで私がなんとなく想像していたのもとは少し違うけれど、現実に男役を卒業したわたさんには、そのような感覚があるのかしら.....

さらに、その「表現する身体」は女性だった、ということかしら....わたさんの「男役」の心を、わたさんという女性が表現していたってことかしら.......これも、これまで「男役」に対して想像していたものと違うけれど、でも、ちょっと納得できる。

男役と別れ、表現する術を求めて模索していたけれど、わたさんはわたさんらしく、これからもやっていくんだと、そんなわたさんの現在の思いがこの舞台に込められているような気がしました。
20周年の記念に「これまで」を振り返るのではなく、現在の自分の立ち位置や思いを舞台で表現するというのが、すごく新鮮だし、すごく共感できる。なんとなくわたさんらしいなって気がしました。そういう意味でも、この作品はとても好きだなって思いました。

私の感じたものが違ってなければ、それをこのような形で表現してくださった大野センセイ(演出:大野拓史)も素晴らしい!


わたさんが去った舞台に、さえちゃんが現れ、次いで出演者たちが、そしてわたさんが現れて、フィナーレのショーが始まりました。それまでとうって変った明るく賑やかな雰囲気に戸惑ったけれど。でも、あの雰囲気のまま終わってしまったら、重たい空気を引きずって帰らないといけないものね。それはファンにとってはちょっと....だものね。

わたさんに合わせて、客席全体が揺れるのが後方の席からはよく見わたせる。このぱぁっと明るい空気、客席との一体感も、わたさんの魅力ですね........そういえばそうでした。わたさんがトップさんだった頃を思い出して、少し懐かしかった。

わたさんとさえちゃんの短いけど楽しいトークがあって、切なくて楽しい舞台は終了。終演後のロビーが、満ち足りた表情のファンであふれていたのが、印象的でした。

20080711212638
劇場の帰り道は、京橋から有楽町に出ました。
駅前の雑踏を抜けたら東京宝塚劇場の尖塔が見えて......なんだかすごく遠いところから戻ってきたような気がしました。

あの日につながる切ない想い@ACHE ~疼き~(前半)

正直なところ。

わたさん(湖月わたる)は大好きなスターさんの一人には違いないけれど、じゃあファンなのかといえば、さほどではない。身も蓋もない言い方で申し訳ないのだけれど。
でも、大好きな星組のトップさんだった方だし。トップ就任から卒業まで、さまざまな葛藤と憧れと、こもごもの思いをもって見つめ続けたスターさんだし。生年月日の「年」の10の位が違うだけで誕生日も血液型も同じだから、格別の思い入れのあるジェンヌさんであることは確か。
けど、芸能生活=宝塚歌劇初舞台以来20周年の記念のコンサートに行きたいかと問われれば「別に....」と思う。そんな程度の思い入れいしか持ち合わせていなかったので『ACHE―疼き―』がお友達たちの間で話題になっていても、私の予定に組み込まれることはなかったのでした。ほんとに申し訳ないのだけれど。

ところが。
初日の幕が開いて、観劇したお友達たちの話を聞くに、どうも普通の「記念コンサート」とは様子が違う.......というので興味を持ち。幸いチケットを譲ってくださる方もあり、急遽観劇を決めた次第なのでした。

7月11日。金曜日の夜の部。まだまだ空は明るくて、熱気と湿気を含んだ空気が重い。そんな中、銀座から京橋を渡ってル テアトル銀座へと急ぎました。

どこかのお家のリビングのような、大きな吹き抜けのあるロビーのそこここに、宝塚時代からのファンって雰囲気の女性グループが固まっていました。客席は、前段の平場のお席はほぼ100%埋まっていました。私のお席は後ろから数えたほうが早い、高い場所です。舞台から遠い代わり、舞台と客席を同時に俯瞰できて、意外と面白いんじゃないかな。

古いお城の中みたい......っていう感じで伝わるかしら?○○調って言葉がすぐに浮かぶといいのだけれど.......ともかくそんなような、ちょっと幻想的にも見える舞台。薄明るいライトの中に、白いお衣装のゆりちゃん(星奈優里)がひらひらと現れ、次いでさえちゃん(彩輝直)が現れて、ときに対照的に、絡み合い縺れあいながら踊る。白い影。白い蝶........この二人のダンスは、後から思うときちんと意味があった。けどこのときは、そんなこと知る由もないので、ただただ幻想的な綺麗なプロローグだな.....と思って見ていました。
やがて、男性ダンサーが現れ、舞台の中央にわたさんが現れました。

『キャリオカ』。
懐かしいキャリオカ。日比谷公会堂でわたさんを見送った。あの、サヨナラの日の一コマが思い出されます。
けど、あの頃のように煌き輝きながらこぼれ落ち流れ落ちる、数えきれないほどの光の粒は、ここにない。わたさんは同じようにスパンやストーンで彩られた燕尾(タキシード?)を身につけているけれど、でも何かが違う。懐かしく思う反面、あの頃がすごく遠くにいってしまったような、その事実を初めて自覚したような、さびしい気持ちになる......
わたさんのダンスは昔と同じ......むしろ昔よりもキレが増しているかもしれない。かっこいい。けど、ここにいるのは、あの頃の男役・湖月わたるとは別の存在なんだ........ふとしたはずみに「女」の気配が匂い立ち、はじけ散る。わたさんの胸から。腹から。腰から。
そのことに戸惑うとともに、突き放されたような思いに襲われる。そこに2年の月日が厳然と横たわっているのを感じる.........けど、そんな気持ちも、わたさんを見ているうちに、だんだんと薄らいで。過去と現在が混然としてくる........

『キッチュ』。
自分自身を皮肉っぽく突きはなすように語りながら、客席に下り、写真を配る.......わたさんは客あしらいのうまい人だと思う。通路の脇の観客に語りかけながら、客席全体を虜にしていく。観客は、わたさんの深い深い懐の奥深くに取り込まれていく。
昔、わたさんが生まれたばかりのトップスターだった頃、神奈川県民ホールでわたさんが客席に下りるのを初めて見たけれど。あの日と同じように少し離れた場所からわたさんを見つめながら。あのときと同じように、わたさんに魅了されている.........こうして少しずつ「思い出」と「現在」の距離が縮められていく。

『月夜歌聲』。日替わりナンバーは『Remenber』。
初日は『月の満ちる頃』だったそうですね。でも、『Remenber』も、せつない。ふと気づくと涙が出ていた。
あの頃、わたさんのいる舞台にはいつも、薄く霞のように切なさが漂っていたけど。それは、わたさんの持つ、この雰囲気から生まれたものだったのかもしれない。甘くて切なくて。かすかに痛みを感じる記憶だわ......

手を伸ばせばいつだって近くに届いたから
かけがえのない奇跡と分からずに過ごしたけれど

当然のようにそこにあったあの日々は、やっぱり「奇跡」だったのかしら.....

舞台の上に設えられたバルコニーの上に、テーブルと椅子。いつのまにか黒いドレスのゆりちゃんがいました。わたさんに投げかけられた冷たくて褪めた眼差しに、胸騒ぎを覚える。
中央の階段では、さえちゃんが、やはり黒いドレスで佇み、何か値踏みをするような目で、わたさんを見つめていました。

抽象画の世界が始まろうとしていました.........


続く。