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思い返してかみ締める....@ACHE ~疼き~

ACHE ~疼き~

あの舞台の中でわたさん(湖月わたる)は、わたさんの自己なんだな.....と思った。自己自身。本質。身体とか性別とかを超越してて、わたさんそのものの魂なのかもしれない。
男役を卒業したとき、そこにおいてきたのは女性の身体。男役の自分をおいてきたのではなく、自分の魂を仮に宿していた女の身体をおいてきたんだ。わたさんの魂は、女性の体を借りて、男役を生きたんだ。

けど、男役を卒業した今、わたさんの魂は、女性を求めるのか、男性を求めるのか、はたまた性別を超えた存在を求めるのか。

それって、もしかしたらわたさんの現在の心のありようを示していたのかな.....今、女性と決めず、男性と決めず、いろいろな舞台でいろいろな役柄を演じているわたさんの姿、そのものなんじゃないかな。

そのわたさんが、今いちばんしっくりくる言葉が"ACHE"だったってことかしら....??

初舞台から20周年の区切りを単なるメモリアル、振り返りに終らせずに、こういう形で今の自分の姿を残し、ファンの心に刻み付ける。どことなく哲学的なあり方は、わたさんにぴったりな気がしたし。私はこの哲学っぽさが好きだって思った。

具体的なパートナーとして、何人かのスターさんを思い浮かべることはできると思う。その人とともに作り上げた世界は終ってしまって、二度と戻れないことは事実だから。
どの人を思い浮かべても、かすかに胸に痛みを覚えるし、納得できるというか筋は通る。
観る人によって様々な解釈ができると思う......それぞれのわたさんの観方、わたさんへの思い、わたさんとの思い出によって。そういう意味でも哲学的で、奥深い作品だな......と思う。

そこまで深く考えなくても、この舞台の上で、純粋にわたさんはかっこよかったから。それだけでもよかったけどね。

暗闇に消えたわたさんが再び登場した後の舞台は、明るくてノリのいいコンサートに変わっていました。客席の前方のファンたちが、一斉に両手を上げて左右に振ったり拍手する.....客席と舞台との一体感を感じました。これこそ、まさにわたさんの世界!

少し前までの、憂いに包まれて、深い深い心の奥底を表現していたわたさんからは一転して、サワヤカで明るくて楽しいわたさん。この二面性というか、振幅の大きさも、わたさんの堪らない魅力のひとつなんだろうな......と思いました。

何度も何度も思い返しては、かみ締める。長く深く、切ない余韻の残る、私にとってお気に入りの舞台の一つになりました。

あの日につながる切ない想い@ACHE ~疼き~(後半)

今がけして幸せでないというわけじゃないけど。
振り返るともっともっとあたたかくておだやかで、
幸せな日々があったような気がする。

もう戻れないあの頃を思うとき、
胸にかすかな痛みを感じる......


前の記事からの続きです。

そこは、わたさん(湖月わたる)の20周年記念の舞台。リサイタル?
わたさんのダンスは切れがあって格好いい。有村センセイ(衣装:有村淳)の.....いかにも有村センセイらしい、白いスレンダーなスーツがよく似合ってる。

幕間にロビーで、元・宙組組長のまりえったさん(美郷真也)が、元・雪組副組長のよっこさん(灯奈美)や、たぶん歌唱指導の楊淑美サンに向かって「わたさん、一段と男っぷりをあげた」って熱心に話してるのを小耳にはさんだけど。ほんとうに、そのとおりだと思う。

ゆりちゃん(星奈優里)との息もピッタリ合っている....と、思う。ゆりちゃんのダンスは、昔から思うけれど、本当に女らしくて色気があるのに、キレがよくって、素敵。ゆりちゃんと絡むと、さらにわたさんの男振りが上がる。

そこに怪しい男どもが現れ、ゆりちゃんを連れ去ろうとする。
ゆりちゃんを奪われまいとして、わたさんが男どもに挑みかかる。拳闘シーンが始まる。わたさんの長い手足が躍る。あざやかさに目が奪われる。格好いいよ、わたさん!


舞台は「失われた半身を捜し求める場所」に代わる。そこに現れた、半身同士がくっついた2人@附田政信さん&坂本まさるさんが、息もぴったりで、コミカルで、笑いがこぼれる。この2人は「意識」とか「感情」とか、なのね。2人の動きは、さまざまな感情や、思いや、目に見えないものが表現されたもの。面白いけど、すごく深い。人間の身体ってこんなにもたくさんのことが表現できるんだ.....と思って、感心してしまう。

わたさんの身体も同じ。長い手足でしなやかに踊るわたさんの中から、言葉で表せない何かが流れ出てくるのがわかる..........それは「流れ出る」のだと思う。流れ出るものは、感情とか、思いとか、空気、かな。頭で考えるよりも先に、心が何かを感じ取ってしまうような......この、わたさんから感じる「何か」を、言葉でうまく表せないのがもどかしいのだけれど。

わたさんの動きに従って、白いジャケットの裾が翻り、シルバーの....なんていうのかな?ネックレス?マフラー?ともかくそれが、ジャケットの襟に沿って、キラキラと揺れるのが、とてもきれい。

わたさんは「パートナー」が今も無事にそこに生きていることを知って、安堵する。
お芝居の中のありふれたひとコマだけど、この舞台の中では、そんなひとコマひとコマ、一言一言が何か重要な意味を持っている気がする。

失われた半身を選ぶなら「前と同じ半身がいい」と、わたさんは言う。なぜなら「パートナー」だから。けど、わたさんは「パートナー」の何を知っていたのか.....

失われた半身に代わる半身に、男性を選ぶのか、女性を選ぶのか、はたまたそのどちらでもない何ものかを選ぶのか。
わたさんが求めるのは、女性。ゆりちゃん。けど、彼女はわたさんから目を逸らし、そこから逃げようとする。

男性。戸井さんは、わたさんを強く引き寄せようとする。
もう一人、さえちゃんは、少年のように見える。たぶん女性じゃないけど男性でもない。両性具有というよりもむしろ、未分化といったほうが似合う。
さえちゃんは、わたさんにささやきかけ、誘惑する。わたさんの意識の底に潜り込もうとするかのように。

女性のゆりちゃんと絡むと、わたさんの男振りが際立つ。
男性の戸井勝海さんが迫ると、わたさんは明らかに女だ.....当然だけど。女性らしさがにじみ出る。

さえちゃんは.....さえちゃんはほんとうに、ボーダーに生きる人。男性とも、女性とも。大人とも子どもとも.....どころか、人間ともつかない。不思議な空気感を醸し出している。
そういえばさえちゃんは、昔からそうでしたね....何ものでもない役がとても似あっていて上手かった。それは上手い、下手というものではないのかもしれないですね。自然に身に添うものなのかもしれない。それが魔性と呼ばれるものなのかもしれない。

そんなさえちゃんが、わたさんに恋い焦がれている。怪しく熱い眼差しでわたさんに挑みかかる。わたさんを勝ち取るのは自分以外にはありえないと、そうであるのが当然だとでもいうかのように。

わたさんは躊躇し、苦悩している。自分の半身は、男性なのか、女性なのか。あるいはそのどちらでもない何ものか。

さえちゃんはゆりちゃんがわたさんを「売った」事実を告げる。なぜ?わたさんに詰め寄られて、ゆりちゃんは逃げようとする。
そこに再び怪しい男たちが現れ、そして.....

前と同じ......同じに見えるけれども少し違う世界に戻ったわたさんは、再び新たな場所に向けて歩み始める。

舞台を下り。客席の通路を後方に向かって一筋に、わたさんが歩いてくる。わたさんを照らしていたライトが途切れ、暗がりの中。わたさんの白い影が、近づき、通り過ぎて、消えた。そこに、わたさんの気配だけがいつまでも残っているような気がした.........


宝塚を卒業するということは、男役と訣別するということだけれども。それは自分の半身を喪うのに等しいことなのですね。自分の意思とか思いといったもの、いわゆる「ハート」の部分は変わらずにあるけれども、それを表現する身体を喪ってしまった.......これまで私がなんとなく想像していたのもとは少し違うけれど、現実に男役を卒業したわたさんには、そのような感覚があるのかしら.....

さらに、その「表現する身体」は女性だった、ということかしら....わたさんの「男役」の心を、わたさんという女性が表現していたってことかしら.......これも、これまで「男役」に対して想像していたものと違うけれど、でも、ちょっと納得できる。

男役と別れ、表現する術を求めて模索していたけれど、わたさんはわたさんらしく、これからもやっていくんだと、そんなわたさんの現在の思いがこの舞台に込められているような気がしました。
20周年の記念に「これまで」を振り返るのではなく、現在の自分の立ち位置や思いを舞台で表現するというのが、すごく新鮮だし、すごく共感できる。なんとなくわたさんらしいなって気がしました。そういう意味でも、この作品はとても好きだなって思いました。

私の感じたものが違ってなければ、それをこのような形で表現してくださった大野センセイ(演出:大野拓史)も素晴らしい!


わたさんが去った舞台に、さえちゃんが現れ、次いで出演者たちが、そしてわたさんが現れて、フィナーレのショーが始まりました。それまでとうって変った明るく賑やかな雰囲気に戸惑ったけれど。でも、あの雰囲気のまま終わってしまったら、重たい空気を引きずって帰らないといけないものね。それはファンにとってはちょっと....だものね。

わたさんに合わせて、客席全体が揺れるのが後方の席からはよく見わたせる。このぱぁっと明るい空気、客席との一体感も、わたさんの魅力ですね........そういえばそうでした。わたさんがトップさんだった頃を思い出して、少し懐かしかった。

わたさんとさえちゃんの短いけど楽しいトークがあって、切なくて楽しい舞台は終了。終演後のロビーが、満ち足りた表情のファンであふれていたのが、印象的でした。

20080711212638
劇場の帰り道は、京橋から有楽町に出ました。
駅前の雑踏を抜けたら東京宝塚劇場の尖塔が見えて......なんだかすごく遠いところから戻ってきたような気がしました。

あの日につながる切ない想い@ACHE ~疼き~(前半)

正直なところ。

わたさん(湖月わたる)は大好きなスターさんの一人には違いないけれど、じゃあファンなのかといえば、さほどではない。身も蓋もない言い方で申し訳ないのだけれど。
でも、大好きな星組のトップさんだった方だし。トップ就任から卒業まで、さまざまな葛藤と憧れと、こもごもの思いをもって見つめ続けたスターさんだし。生年月日の「年」の10の位が違うだけで誕生日も血液型も同じだから、格別の思い入れのあるジェンヌさんであることは確か。
けど、芸能生活=宝塚歌劇初舞台以来20周年の記念のコンサートに行きたいかと問われれば「別に....」と思う。そんな程度の思い入れいしか持ち合わせていなかったので『ACHE―疼き―』がお友達たちの間で話題になっていても、私の予定に組み込まれることはなかったのでした。ほんとに申し訳ないのだけれど。

ところが。
初日の幕が開いて、観劇したお友達たちの話を聞くに、どうも普通の「記念コンサート」とは様子が違う.......というので興味を持ち。幸いチケットを譲ってくださる方もあり、急遽観劇を決めた次第なのでした。

7月11日。金曜日の夜の部。まだまだ空は明るくて、熱気と湿気を含んだ空気が重い。そんな中、銀座から京橋を渡ってル テアトル銀座へと急ぎました。

どこかのお家のリビングのような、大きな吹き抜けのあるロビーのそこここに、宝塚時代からのファンって雰囲気の女性グループが固まっていました。客席は、前段の平場のお席はほぼ100%埋まっていました。私のお席は後ろから数えたほうが早い、高い場所です。舞台から遠い代わり、舞台と客席を同時に俯瞰できて、意外と面白いんじゃないかな。

古いお城の中みたい......っていう感じで伝わるかしら?○○調って言葉がすぐに浮かぶといいのだけれど.......ともかくそんなような、ちょっと幻想的にも見える舞台。薄明るいライトの中に、白いお衣装のゆりちゃん(星奈優里)がひらひらと現れ、次いでさえちゃん(彩輝直)が現れて、ときに対照的に、絡み合い縺れあいながら踊る。白い影。白い蝶........この二人のダンスは、後から思うときちんと意味があった。けどこのときは、そんなこと知る由もないので、ただただ幻想的な綺麗なプロローグだな.....と思って見ていました。
やがて、男性ダンサーが現れ、舞台の中央にわたさんが現れました。

『キャリオカ』。
懐かしいキャリオカ。日比谷公会堂でわたさんを見送った。あの、サヨナラの日の一コマが思い出されます。
けど、あの頃のように煌き輝きながらこぼれ落ち流れ落ちる、数えきれないほどの光の粒は、ここにない。わたさんは同じようにスパンやストーンで彩られた燕尾(タキシード?)を身につけているけれど、でも何かが違う。懐かしく思う反面、あの頃がすごく遠くにいってしまったような、その事実を初めて自覚したような、さびしい気持ちになる......
わたさんのダンスは昔と同じ......むしろ昔よりもキレが増しているかもしれない。かっこいい。けど、ここにいるのは、あの頃の男役・湖月わたるとは別の存在なんだ........ふとしたはずみに「女」の気配が匂い立ち、はじけ散る。わたさんの胸から。腹から。腰から。
そのことに戸惑うとともに、突き放されたような思いに襲われる。そこに2年の月日が厳然と横たわっているのを感じる.........けど、そんな気持ちも、わたさんを見ているうちに、だんだんと薄らいで。過去と現在が混然としてくる........

『キッチュ』。
自分自身を皮肉っぽく突きはなすように語りながら、客席に下り、写真を配る.......わたさんは客あしらいのうまい人だと思う。通路の脇の観客に語りかけながら、客席全体を虜にしていく。観客は、わたさんの深い深い懐の奥深くに取り込まれていく。
昔、わたさんが生まれたばかりのトップスターだった頃、神奈川県民ホールでわたさんが客席に下りるのを初めて見たけれど。あの日と同じように少し離れた場所からわたさんを見つめながら。あのときと同じように、わたさんに魅了されている.........こうして少しずつ「思い出」と「現在」の距離が縮められていく。

『月夜歌聲』。日替わりナンバーは『Remenber』。
初日は『月の満ちる頃』だったそうですね。でも、『Remenber』も、せつない。ふと気づくと涙が出ていた。
あの頃、わたさんのいる舞台にはいつも、薄く霞のように切なさが漂っていたけど。それは、わたさんの持つ、この雰囲気から生まれたものだったのかもしれない。甘くて切なくて。かすかに痛みを感じる記憶だわ......

手を伸ばせばいつだって近くに届いたから
かけがえのない奇跡と分からずに過ごしたけれど

当然のようにそこにあったあの日々は、やっぱり「奇跡」だったのかしら.....

舞台の上に設えられたバルコニーの上に、テーブルと椅子。いつのまにか黒いドレスのゆりちゃんがいました。わたさんに投げかけられた冷たくて褪めた眼差しに、胸騒ぎを覚える。
中央の階段では、さえちゃんが、やはり黒いドレスで佇み、何か値踏みをするような目で、わたさんを見つめていました。

抽象画の世界が始まろうとしていました.........


続く。

タカラジェンヌ初?の医師国家試験合格!

宝塚歌劇団の卒業生から、初めてのお医者様が誕生されたそうです。

おめでとうございます!

多くのOGが様々な分野で活躍されていますが、お医者様が誕生したのは初めてのことのようですね。
今朝の宅配スポニチの裏面全面に大きな記事が載っていました。

芽衣かれんさん。本名・銘苅美世さん。80期生。きりやん(霧矢大夢)とかゆみこさん(彩吹真央)とかと同期なのですね。初舞台の後、花組に配属されて、ヤンさん(安寿ミラ)主演の『ブラックジャック』ではビノコに抜擢されたりしました。目元がくりっとした、愛らしい娘役さんだったのですよね。

歌劇団は3年で退団して。それから一念発起して大検に合格後、二浪して東海大学医学部に入学。2年生のときには『週刊医学会新聞』の「隣の医学生」というコーナーで、異色の経歴?の医学生の一人として紹介されました⇒コチラ

国家試験は2度目の挑戦で合格されたそうですね。スポニチ紙面には、きりやんのほか、おそらく退団時の花組トップ・スター真矢みきさんからもお祝いのメッセージが寄せられていました。

在団中に老人医療・福祉の現場に出会ったことから、医学部を志した、という銘苅さん。まったく異なる道に進んだように見えるけれど、彼女の中では一つの柱が貫かれているのですね。というか、在団中に立てるべき柱を見つけて、それを大切に守っているとも言うのな。

医師となって、最初は産科・小児科、それからいろいろな科を経験した後、自分の専門分野に進むのだそうです。まだまだ志を遂げるまでには時間が必要なようですね。でも、きっと頑張って、ご自分の求めた夢を実現されるのだと思います。

タカラジェンヌは夢を見せてくれるフェアリーって言われてますけど。こういう形で新たな夢を見つけ、その夢が実現する様を見せてもらえるのって、素敵なことだな~って思います。自分も頑張ろう!って気持ちになります。


それぞれに歴史がある......

『A-“R”ex』で、2人の生徒さんが歌劇団を卒業されました。

1人はいわずと知れた専科のシビさん(矢代鴻)。もう1人は、月組のはるちゃん(麻華りんか)です。

私が舞台の上のはるちゃんを初めて観たのは、リカさん(紫吹淳)がトップだったころの『宝塚花の風土記』で、赤いお着物....ピンクだったかしら?はっきりと覚えていないけれど、桜の枝を振りながら舞台に現れた3人の女の子の中の1人だったのですね......愛らしい姿でした。初舞台生?って思ったけれど、研2のはるちゃんと羽咲まなちゃんだったのですね。

声がきれいで歌が上手な人っていう印象はこの頃からのものかと思っていたけど。じつはその後の『愛しき人よ』の、歌姫の印象からだったのかもしれないですね........タカラヅカニュースのインタビューの中で流れた映像を見て、そう思いました。

でもともかく、歌の上手な人っていうイメージを、ずっと持っていました。実際、インタビューの中でも「たぶん誰よりも陰コーラスをしている」という話をされていました。安心して歌のパートを任せられる人だったのですね。きっと。

病気でしばらく休演されたことは知っていましたが。復帰が危ぶまれるほど、大きな病気をされていたとは知りませんでした。だから、インタビューで病気の話が出たときには、ほんとうに驚きました。でも、そんな大きな病気を経験していたなんて、微塵も感じさせないほど、明るい笑顔で語る姿に、ほんとうに強い人だな、と、尊敬に近い気持を持ちました。大きな病気を乗り越えて、宝塚の舞台に戻ってきてもらえて、ほんとうによかった。再び舞台に立てたときは、どんなにかうれしかったことでしょうね......

インタビューを見て、自分の中に自信を持てるものを持てるのは、素晴らしいことだなって思いました。はるちゃんの場合はそれが「歌」だったのですね。しかもそれは、プログラムには必ずしも書かれているとは限らない「陰コーラス」。いわば縁の下の力持ちのような立場だったりもするけれど、それに対して誇りを持てることは、素晴らしいなって思いました。自分に誇りを持てる「何か」があるから、がんばれたのかな.....

今回『A-“R”ex』で、クレオパトラという、ある一瞬の出来事を語るために歴史上に現れた、悲劇の花嫁を演じる姿を見て。こんなにも、はかなくて切なくて、けど深みのある歌を。涙の池が砂漠の中に蜃気楼のように浮かんでは消えるような。そんな歌声が、とても心に残りました。たぶん、はるちゃんがこれまでに経験した絶望と喜びが、その思いが大きく深かった分だけ、はるちゃんの心の中にさまざまな感情の襞を折り上げていて。それが歌になって現れ出ていたのでしょうね......

こんなに味わいのある歌が歌えるはるちゃんは、もっともっと「聞かせる歌」が歌える人になるかもしれなのに。こんなに早く卒業されるなんて、惜しいことだと思っていました。でも、はるちゃんがこれまで頑張ってこられたであろうことを思うと、もう、おつかれさまって言ってあげないといけなのかな.....と思いました。残念だけれど。

生徒さんにはそれぞれ、宝塚の生徒さんとして生きた歴史があるのですね。宝塚歌劇を観ることは、そんな生徒さんの歴史を見守ることでもあるのかな.......そしてそれは、自分が生きてきた足どりに重なっているのだな........と。印象に残る生徒さんの卒業に接するたびに、思ったりします。

はるちゃんのこれからの人生が、明るい笑顔に包まれた幸せなものであることを、心からお祈りします。

小さな白い花@宙組東宝千秋楽

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すこし前の話をします。

10月1日。宙組東京公演『バレンシアの熱い花』千秋楽の翌日。仕事で銀座に行く用事があったので、ついでに日比谷シャンテ地下のキャトルレーヴに、予約していた品物――星組博多座の舞台写真――を受け取りに行きました。

東京宝塚劇場の入口ロビーには休演日の札が立ち、劇場前の舗道も公演中の賑わいとはうってかわって、ひっそりと静まりかえっていました。

前日の千秋楽の日、私の住む横浜地方では朝から細かい雨が降ったり止んだりを繰り返していたけれど。千秋楽の幕が下りる頃、ここの空模様はいかがだったのでしょう....???


千秋楽の雨はせつない。退団者のあるときはなおさら。この道を歩いて帝国ホテル前の交差点に消える緑の袴姿を覆う雨。見送るファンたちに降りかかる雨.......今回の公演で卒業された3名の生徒さんたちの肩が濡れることはなかっただろうか......

夕闇の迫る舗道にふと、小さな小さなよねさん(鈴鹿照)の姿を見たような気がしました。よねさんの袴姿があの交差点の向こうに消える瞬間、見送るファンの心に浮かぶ思いは、同じだったと思う。

惜別......

私が初めて宝塚歌劇の舞台の上で、生の(笑)よねさんに出会ったのは、星組の前の前のトップスター・タータン(香寿たつき)のサヨナラ公演『ガラスの風景』でした。
まやさん(未沙のえる)と二人、仲良しで、人がよくってうわさ話が大好きな、年配の姉妹の小柄な姉さんの役。
割とシリアスなお芝居の中で“笑い”の部分を受け持っているのだと思うのだけれど、その姿が愛らしくって憎めない。こういうおばさん、たしかにいるよな~って苦笑交じりにうなずいてしまうような。そんな役。

ショー『バビロン』にもちょこっと登場していたっけ。コミカルな女役として。コミカルな男役として。

よねさんは小柄な方だけれど、男役も娘役も、どちらもこなされていた。善人のときもあれば、悪人の時もあった。けど、私の中のよねさんのイメージはいつも、善意に満ちたかわいらしい人。性善説の世界に生きる人。
悪人だけど、極悪人にはなりきれなくて、どこかに愛嬌を感じさせる。あるいは善人だけれど、どこかに小さな悪意が潜んでいる.......そんな人間の二面性というか、多様性というか。業のようなものを感じさせる人。そんな役がぴったりだったと思います。

そしてそこにいつも、生きる喜び、地に足をつけて生きる人々の力強さ、人の営みの素晴らしさ、人間への大きな愛、そんなものを感じさせられていました。

ひろい大地の片隅に人知れず楚々として、けれどたくましく花開く、小さな白い花。そんなイメージ。

宝塚歌劇は「夢の世界」なのだけれど、あまりにかけ離れた「夢」の世界であっても私たちはついていけない。その「夢の世界」を少しだけ、私たちの棲む「現実」の世界に引き寄せる手助けをしてくれるのがよねさんのような存在だったのかもしれない、とも思います。

よねさんの最後の出演作となった『バレンシアの熱い花』では、悪者・ルカノール公爵の従順な手下として働く小役人・ホルへを演じていました。ホルへは物語の終盤で、ルカノール公爵を討つために城に忍び込むフェルナンドを導く手助けをする。それは、自らの出世と懸賞金と引き換えにフェルナンドの父を手にかけたことへの償いのため、そして、息子ドンファンへの償いのためであった、という。このエピソードは初演時にはなかったもので、今回初めて物語に取り入れられたものだそうです。お芝居をみているときには、ちょっとびっくりさせられる、え?そうなの?みたいな、唐突な展開だったけれど。
ホルへが最後まで悪人に徹しきれないのは、よねさんらしいエピソードだと思います。そして、息子の腕の中で償いの思いを語りながらこと切れるのは、よねさんにふさわしい最後のシーンではないかな、と思いました。

そんな「よねさんらしさ」は、一朝一夕につくりあげられるものではなくて、長い宝塚歌劇の舞台経験の中で、培われ、築き上げられたものなのでしょう。

「42年のマラソンのゴール」と、千秋楽の挨拶の中で、よねさんはおっしゃいました。42年の年月の重み.........この42年間が失われることは、とても大きなことではないだろうか......

宝塚歌劇で再びよねさんのような存在に出会うまで、私たちはどれだけの時間を待ち続けることになるのだろうか........

タカラジェンヌの当然の思い

WOWWOW『アンコール スターの小部屋』でヤンさん(安寿ミラ)が大劇場で数日間だけサヨナラ公演をしたときの舞台挨拶を見ました。

この年、1995年の初め。大劇場ではヤンさんのサヨナラ公演が行われていたのですね。けどあの、阪神淡路大震災に見舞われて中断。現在の梅田芸術劇場、当時の劇場・飛天の日程を譲ってもらって、公演は続けられたんでしたっけね、たしか?そんな風に聞いた覚えがあります。当時は私、いちばん宝塚から疎遠な時代だったので、いまいちはっきりとした記憶がないのですが..........ヤンミキ時代をよく知らないのは自分でも非常に残念なのですが.......

阪神淡路大震災。関東に住む私たちには想像のつかないほどの大きな震災。テレビでも、連日、その被害の大きさが報道されていましたっけ。それが、一人のトップスターの最後の公演、いわば花道に襲いかかったのだから。スターさんも、ファンの方々も、どれだけ悲しくつらい思いであったろうかと思うと胸が痛みます。

ヤンさんの挨拶の中に「花の道でお別れができる」というくだりがあったけれど。そうですよね。やはり、花の道で大劇場に、ファンに、別れを告げたい。それは、一人のタカラジェンヌとして当然の思いだと思う。トップスターでなくたって、みんなそう思うと思う。だから、ヤンさんの一言が、胸に深く深く響きました。

同じ番組の中で、星組のマリコさん(麻路さき)のトップお披露目公演とか、雪組のたかこさん(和央ようか)の新公とかが取り上げられていたけど。スターさんの対談の話題には必ず震災の話が混じる。ほんとに、関東に住む私には、想像もつかないほどの大きなできごとだったのですね。

「地震の前の自分には戻れない」と、ヤンさんは語っていました。それぐらい大きく深く、心に影響を受けたのですね.......

でも、ヤンさんの思いを実らせることができて、ほんとによかったな、って思う。当時の詳しい事情は知らないので、そうとしか言えなくて。当時震災の中、つらく苦しい思いをされた方々や、リアルタイムで胸を痛めていた当時の花組ファンの方々からは「そんなものではない!」とお叱りを受けてしまうかもしれないですが。

舞台の向こうで、たくさんのジェンヌさんと、ジェンヌさんの卵さんが、青春をかけて.....なんて言うと、ちょっと恥ずかしくて口はばったいんですが.......頑張っている。そのジェンヌさんたちの頑張りが、私たちファンに大きな感動と生きる勇気を与えてくれている。

そのジェンヌさんたちの思いは、今日も明日も、ずっと大切にしてもらいたいなって。大切にしてもらえる宝塚歌劇であってほしいな.....って思いました。

非常に僭越ではありますが.....

「理想の女性上司」

今年も産業能率大学から「新入社員の理想の上司」アンケートの結果が発表になり、「理想の女性上司」部門2位に常連の黒木瞳さん、3位に真矢みきさん、5位に天海祐希さんと、元タカラジェンヌが3人もランク・インしました。

ワタシ的には、ショーコさん(黒木瞳)、ユリさん(天海祐希)は、ドラマや漫画に出てきそうな、いわゆる絵に描いたような、いかにもの女性上司のイメージを感じるのだけど。

みきちゃん(真矢みき)は、同世代の等身大のワーキングウーマンって雰囲気で。リアリティがあって。オフィスで働く「上司世代」の私には、シンパシーを感じやすい存在ですね。

こういう調査にランク・インするというのは、それだけ露出が多くて注目度が高いってことだから、順位に関わらず、うれしいことですね。

それに、現実問題として。タカラジェンヌさんは宝塚歌劇というチームプレーの中で鍛えられているはずだから。組織の中でもしっかりやっていけそうな人が少なくないんじゃないのかな........なんて気がしますが。

いろんな分野で活躍中の元・タカラジェンヌさんたち。これからもますます頑張ってくださいね♪

あなたの未来に幸せの光が降り注ぎますように.....

この夏の月組東京公演で宝塚を卒業された、のぞみさんこと楠恵華さんのことを、ずっと密かに応援していたことは、ここにも何度か書きました。

のぞみさんは、私が初めて月組を生で観劇したときから、リュウさま(越乃リュウ)とともに刑事役で登場されたときから、その集中力というか、オーラというか、お芝居がすきなんだな、舞台が好きなんだなっていうイメージがあって、印象に残っていました。何度か月組の舞台を観るうちに、脇役として重要な人なんだな、というのもわかってきました。

1年ほど前からは「スカイレポーターズ」としてスカイステージの画面に登場する機会も増え、機転の利いたレポーターぶりに、頭のいい人だなぁと感心することも数知れず、でした。

『宝塚おとめ』を見て、のぞみさんが私と同じ学校の出身であることを知り、密かに応援するようになりました。私の出身校は、ユニークな人材を多数輩出しているのだけれど、タカラジェンヌまでいたとは!と最初は驚きでしたが。「私の後輩を観て頂戴!」みたいな気持ちで、密かに誇りにし、自慢に思っていました(苦笑)

そんなのぞみさんの突然の.......もしかしたらご本人にとっては突然ではないのかも知れないですが.......退団の発表には、ただただ驚き、戸惑いました。大劇場の千秋楽の頃には、そんな兆しはなかったように思われたから。長く続けていれば、きっと重要な存在になれる方だと信じていたので.......

せめて応援していた気持ちだけでも伝えられればと。「ありがとう」と「おつかれさま」の気持ちを伝えたいと思い。公演中ののぞみさんに、初めてお手紙を出しました。なんだかそうしないではいられない気持ちだったのです。

それから3ヶ月と半分がたった今日、のぞみさんからハガキが届きました。

緑の袴で白い大きな花束を抱いた姿。あまりに思いがけなくて、驚いて、悲しくて、けどうれしくて.........泣きました。

のぞみさん。
あんなに素敵な舞台姿を。たくさんのステキな思い出を。
そして、こんなにステキなお心遣いを。本当にありがとう。

今はどうすることもできないけれど、この気持ちを伝えたくて。ここに書きます。ここに書いたからといって、読んでもらえるわけじゃないけど(苦笑)

のぞみさんはきっと、宝塚での経験を無駄にすることなく、しっかりとご自分の足で新しい人生を歩み始めておられることと思います。
のぞみさんの未来に、つねに幸せの光が降り注ぎますように。
心からお祈りしております。

永遠のフェアリー@スカステ『Akiko』

タカラヅカニュース総集編で『AKIKO~オンステージ・タカラジェンヌと共に~』という公演のダイジェストを放映していました。

アキコ・カンダさんは、元タカラジェンヌで、退団後は宝塚歌劇の振付や音楽学校の講師などをされていた方。たしか毎年、宝塚舞踊会と同じように、教え子の生徒さんたちによる発表会が開かれていたと思います。

今年は、宝塚歌劇講師45周年の記念ということで、現役生徒のほかOGもたくさん出演されて、3日間5公演。いつもよりも大きな催しとなったようです。宝塚友の会でも、チケット抽選の申し込みがありました。

週半ばぐらいに、片付けごとをしながら『タカラヅカニュース』をつけていたときに、センターで踊っている、小柄で愛らしい娘役さんは誰かな....? って思っていたのだけれど、今日、落ち着いて見てみて、それがアキコ・カンダさんだということを知って、ビックリしました。驚愕。45年も講師をされているのだから、もうすっかり「おばあちゃん」で、貫禄もあって、みたいな人を連想していたので.......

日刊スポーツの大阪ニュースのサイトによれば、相当なお年を召されているのですよね.......けど、その踊りのしなやかさ、身のこなしの軽さは、どう見てもそんな風にはみえない。たしかに、アップで映ると、それ相応のお顔には見えるけれども、踊っているときは、愛らしい少女がそこにいるみたい。

ほんの少ししか映らなかったけれど、アキコ・カンダさんが白いお衣装で一人で『G線上のアリア』を踊っているところは、妖精のように素敵でした.......

タカラジェンヌさんは、フェアリー=妖精に喩えられることが多いから、この形容は使い古されて陳腐なものだと思うし、自分も何度も何度も使ってきた言葉だけれど、やっぱり他に適切な言葉が思い浮かびません。

でも、こうして変わらず「妖精」であり続けられているのも、ずっとダンスのことを考えて、ダンスだけに打ち込んでこられたから。今もこうして教え子さんたちと舞台の上に立って違和感がなく、どころか、ずっと表現力豊かに踊ることができているから。だからなのですね。きっと......モダン・ダンスというのでしょうか?私はこのようなダンスのことはよくわからないのですが、アキコ・カンダさんのダンスからは何か特別なものを感じました。生でみたらきっと、とても感動したでしょうね....

まさに永遠のフェアリーですね。本物のフェアリーは永遠なのですね....

先に『宝塚舞踊会』で春日野八千代さんを見たときにも思いましたが、こうしてお年を召されてからも、舞台に立って見る者に感動を与えることができるというのは、日頃の精進の賜物なのだと思います。そのような先輩が身近にいて、その姿を目の当たりにできるというのは、とても素晴らしいことだな、と思います。

そういうことが「伝統の重み」というものなのかな......なんて、堅苦しいことを考えなくても、アキコ・カンダさんて、素敵だなって思いました。

OGは但馬久美さんとか安奈淳さんとか峰さを理さんとかが出演されていて、なかなか豪華メンバー。OGの方々は、踊りも歌も、やはり表現力が豊かなんですね......やっぱりそれがキャリアというものなんですね......しっとりとしていて、素敵でした。

現役生徒さんたちは、赤いお衣装で若々しく溌剌としていて、それもよかったです。センターで踊る和涼華クンが美しかった.....フィナーレで、安奈淳さんと手をつないで舞台に現れるときは、きっとすごい緊張されたことでしょうね....(笑)